土木学会関東支部群馬会主催
群馬県南部地区に存在する社会基盤構造物の歴史的遺産見学会

 
見学場所 群馬県南部地区の歴史的遺産
(佐野の舟橋、共栄橋、観音山古墳、倉賀野宿、柳瀬橋、神流川緑地の大橋、板井レール式水制工、長野堰円筒分水工)
参加者 本校から土木科生徒19名、一般社会人等  総勢40名

 


佐野の船橋


高崎市上佐野町
1994年
木桁橋

 万葉集に詠われているほど、古くから烏川に架橋された重要な橋である。
「船橋」とは、小舟をロープでつなぎ合わせた上に板を渡したもので、洪水時には片方の岸でロープを切り、船は対岸へ寄せられ、洪水が去るとロープを引き寄せかけ直した橋。
 現在は木橋が架けられている。


共栄橋

高崎市倉賀野町~阿久津町
1957年
RCゲルバー桁橋  L=327.1m  B=5.5m

昭和7年に本格的な木橋が架けられた。このとき共栄橋と命名された。
昭和22年のカスリン台風により、流失し昭和32年にRCゲルバー桁橋が架けられた。当時、RC橋の長大橋は、この形式が多く採用された。県下でこの形式の橋は、ほとんど見られなくなった。



倉賀野宿 例幣使街道と常夜燈


 県内、中山道宿場の一つが倉賀野宿である。倉賀野は正保3年に新設された日光例幣使街道の分岐点でもある。寛永17年、利根川の改修工事による流路変更は、倉賀野河岸と江戸との物資の水運の発達に大きく貢献した。明治17年、高崎線の開通と明治26年の碓氷トンネル開通により、倉賀野河岸の使命が終わった。

群馬の森

 群馬の森で昼食。
小春日和の芝生の上で食後の運動!?


写真のように学業・部活動共に成績ジャンプアップ!!






柳瀬橋 藤岡市中島~高崎市岩鼻町
1930年
ワーレントラス形式鋼ポニートラス橋 10連  L=349.3m  B=7.2m

 橋名は、旧中山道に架橋された橋で江戸時代に「柳瀬川渡船」と呼ばれる渡船があったことに由来する。昭和5年にリベット構造のワーレンポニートラス橋が架橋された。ポニートラスという上部構造物が無く圧迫感の無い開放的で軽快な橋である。


神流川緑地の大橋




藤岡市神流川緑地
1910年 移設1992年
石造アーチ橋 L=3.2m  B=2.1~3.0m
折茂巳之吉(竈職人)

 明治43年に藤岡市の平林川が洪水で被害を受け、その災害復旧事業で石造アーチ橋を架けた。この橋を架けたのは竈職人が技術者の指導を受け架けたものである。土木技術者が架けたのではなく竈職人が架けた橋として土木遺産としての価値が大きい。平成3年の台風で平林川は大きな被害を受けたが、この大橋は無事であった。しかし災害復旧工事で取り壊されることとなり、神流川緑地へ移設された。移設した職人は折茂巳之吉の玄孫折茂博一氏である。


板井レール式水制工


佐波郡玉村町板井 利根川右岸
1957年
レール式杭出し水制工  L=200m

 利根川は、昭和22年のカスリン台風で広範にわたり多くの被害を受けた。県では「利根川工事事務所」を設置して災害復旧工事を行った。この工法は、洪水の水勢を和らげると共に水流を河心へ導くため、深掘れ箇所にレール杭を打込み、六面体のコンクリートブロックを芋串状に設置し、レールの頭を連結して安定させ、水勢を和らげた。河岸のり面保護に鉄線蛇篭を施工した。

長野堰円筒分水工


高崎市岩押町
1962年
円筒分水工

 円筒中央から越流した水を正確に分配する施設である。倉賀野堰、矢中堰、地獄堰、上中居堰の4つに分水、配水されている。地域のシンボル的景観として、又高崎市が誇る近代化遺産として、「たかさき都市景観賞」に選ばれている。





 

土木学会関東支部群馬会主催

群馬県北毛地区に存在する社会基盤構造物(重要文化財)等の歴史的遺産見学会

 
見学場所 群馬県北毛地区の歴史的遺産
(二恵橋、文化橋、上久屋発電所取水口、薗原ダム、東橋、丸沼ダム、塗川砂防堰堤)
参加者 本校から土木科生徒8名、前橋工科大生他、一般者
二恵橋(昭和37年)

上路式ランガーアーチ橋
 片品川に架かる本県初の上路式ランガーアーチ橋で施工時に両端の支点をジャッキアップして、補剛桁にプレストレスを導入している。このことで補剛桁の部材力が低減され、部材重量の軽減を実現した。



上久屋発電所取水口(大正14年)

神原流排砂装置


排砂門と取水ダム


排砂施設上流部

 

 

 

 上久屋発電所で発電した電気が前橋に送られ、電車の開通に貢献した。重圧な天然石が積まれたこの施設は、今でも現役で機能している。

薗原ダム(昭和41年

洪水調節を主目的にした重力式ダム


東京電力の職員から説明を聞く参加者

東橋(昭和6年)

木々の奥に僅かに見える東橋

本県初の鉄筋コンクリートアーチ橋
丸沼ダム(昭和6年)

ダム下流側のバットレス


ダム天端

      バットレスをしたから見上げると圧巻

寒さに耐えながら見学
 大尻湖と丸沼の間に建設されたバットレスダム。
 バットレス構造とは、水圧を支える遮水壁を鉄筋コンクリート造りの柱と梁を格子状に組み合わせた複雑な構造であり、当時の「耐震構造理論」が適用され建設された。
 
バットレスダムの希少性やダム規模の大きさ、先進理論による設計、高度な施工技術などから平成13年土木学会選奨土木遺産に選定され、平成15年には発電用ダムとして国内初の国重要文化財に指定される。
塗川砂防堰堤(昭和26~28年)
 大転石を人力で積上げ築造した砂防堰堤。
 巨石積を完成させた当時の石工の心意気がうかがえる。